不思議な御縁をいただき、名古屋市昭和区八事本町にご座居ます、高野山真言宗 別格本山 八事山 興正寺様の、平成大改修事業の一環である「旧日下部邸移築再生工事」に携わる事が出来ました。創業まもない私共に、設計から制作までを全て任せて頂いた事を、御住職様をはじめ興正寺の皆様方に深く感謝申し上げたいと存じます。
旧 日下部邸は、岐阜県岐阜市の重要建築物であり、重要文化財級とも評される数奇屋の名邸でありました。同市出身で、明治後期から昭和前期にかけ海運事業で成功された”海運王”日下部久太郎氏の邸宅であり、明治末に設計され、近代建築技術の粋を集めて大正8年から9年頃に完成、築85年余を経たものでご座居ます。その所在地は、江戸時代に尾張藩主の岐阜御成の際に本陣をつとめた賀島勘右衛門(庄蔵)家があった場所でもあり、その文化的価値から、周辺住民の方々による現地保存が請願されておりました。
この度の移築工事は、八事山興正寺様と同じく高野山真言宗別格本山である蓮花院の御住職で権大僧正様のお力添えにより、八事山興正寺様の許可を頂き実現に至ったものであります。
現在、(移築後)日下部邸は、興正寺様の普門園内に「竹翠亭(ちくすいてい)」として、又、門は入口に当たる「相碾門(そうてんもん)」として生まれ変わり、茶道の稽古場として使用され、永代に渡り残されることとなっています。
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